愛とは、十分に愛で満たされた人にしか
発することができないのではないかと
思います。
特に自分自身をきちんと愛している人こそ
愛する力があるのではと思います。
私の信じる愛とは、自分自身を十分に
愛している人から生まれるものでは
ないかと考えます。
先日、ふとした偶然で、
渡辺和子さんとおっしゃる
シスターの記事を読みました。
渡辺さんは幼い頃、
歴史の教科書で良く知られた
軍のクーデター、2.26事件で
目の前でお父様を殺害されるという
凄惨な経験をされました。
その後、シスターになられ、
あるTV番組の収録に内容を
良く知らされないまま呼ばれました。
収録が始まると、そこには
2.26事件でお父様を殺害した
青年将校達の遺族がおり、
彼らの前で、渡辺さんは
「お父様を殺した
人達を恨んでいますか?」
と質問をされました。
普通の人なら動揺し過ぎて
まともにその場に居られない
状況だと思います。
その時に、渡辺さんは
「いいえ、あの方たちには
あの方たちの信念がおありに
なったのでしょう。
命令でお動きになった方達を、
お恨みしておりません。」
と綺麗な言葉でお答えになりました。
これは、とても魂のレベルの高い
人しかできない行為だと思いました。
キリスト教のシスターだから
キリストの教えである、
隣人への愛や、赦しを思い出し、
このように答えられたのかもしれません。
しかしながら、私は、
彼女の発言は本当に愛に満たされた人にしか、
できないものだと思います。
なぜなら、綺麗ごとをどんなに取り繕っても
言えない程、素の人間性が出てしまう、
過酷な状況での
過酷な質問だったからです。
私はどんなに努力しても
彼女の持つ愛のレベルまで
到達することはできません。
しかし、自分をもっと愛することから始め、
小さな愛を徐々に周りに出していけるよう
努力していきたいと思います。